A LIFE OF A CINEMATOGRAPHER

ART/CULTURE

A LIFE OF A CINEMATOGRAPHER

あるシネマトグラファーの人生 村上涼

Edit: Takeshi Fukunaga

撮影監督(シネマトグラファー)という職業に就く人たちについて、私たちはどれだけのことを知っているだろう? 映画の完成度を左右する魔術師のような存在なのに、一般の観客がシネマトグラファーのクレジットに注目することはほとんどない。村上涼さんは、映像クリエーターたちが一緒に働きたがる「魔術師」のひとりだったという。長編映画「Out of My Hand」の撮影のために訪れていたリベリアでマラリアに感染し、今年6月29日にこの世を去ったという村上涼さん。PERISCOPE編集部は、亡くなってからはじめて、多くの人に愛され、その才能が惜しまれる村上さんのことを知った。今、村上さんの友人や家族たちが、彼の残した遺作を通じて、彼の人生を祝おうとしている。村上さんとリベリアで「Out of My Hand 」を撮影していた福永壮志さんの協力で、映画関係者が寄せてくれた追悼文をここに掲載したいと思う(PERISCOPE)。

 

ドナリ・ブラクストン(映画「Themes From a Rosary」監督   「Out of My Hand」プロデューサー)

誰かに教えてもらうことはできないけれど、一部の人間だけがどういうわけか習得することのできるトップクラスのリーダーシップというものがある。村上涼は、リーダーだった。それは生まれつきの気質によるものだけではなくて、研ぎ澄まされた自己鍛錬と目的意識、そして人間として、職人としての誠実さが融合してできたもので、類まれない意識がある者だけに手が届く種類のリーダーシップだった。今、涼という人間の決定的な資質は、彼がとってきた選択にあったのだと、心のどこかで感じている。涼の視点を通して見た世界には、涼のレンズを通して映しだされた世界と同じように、恣意的なものや受動的なものはなかった。

涼には、人の警戒心を解き、触れた人間とすぐに親密な関係を築ける能力があった。シンプルでカジュアルな会話においても、彼がそこにいるという存在感には特筆すべきものがあり、自分が彼にとって大切な存在だという気持ちにさせてくれた。涼は、自分の資質を、作るアートから切り離すことはできなかったから、その映像には、あたりまえの世界が急に劇的に独特ではっきりした輪郭を描きはじめ、「今」という概念と意味があふれて見えたり、涼のレンズが捉える被写体が、その様相や秘密をさらしてしまうことがよくあった。涼は人生においても仕事においても、貪欲に目を光らせ、忍耐強く耳を澄ませた。その激しさにおいても、落ち着きにおいても、素晴らしかった。周りの人間は、彼から学べることを学ぼうとした。

涼は、自分も敬愛してやまない妻と元気な二人の子供たち、そして妻のお腹にもう一人の子供を残して去った。涼の家族とは、これから先もずっと関わりを保って行きたいと思っている。日々、彼の不在を寂しく思う。
ケビン・ハンロン&ダニエル・カラシーノ(映画「Bill W.」監督)
ドキュメンタリー「Bill W.」を作るのに8年以上かかった。70人以上をインタビューし、巧妙な再現シーンだけで30時間以上の映像を撮った。涼は、最初の撮影監督ではなかったけれど、最後の撮影監督になった。涼を見つけるのに何年かかかった。映画に使われた映像の大半は涼が撮ったもので、涼がいなかったら同じ作品にはならなかったはずだ。
涼はアーティストとして、ひたすら美しい映像を創りだした。ストーリーを語るために、どうイメージを構築すればいいのかを理解していた。生まれながらに人に対する思いやりと、洞察力とビジョンを持っていた。それを言葉だけで説明するのは難しいけれど、真のアーティストを区別するものはそこだと思う。涼を知る人なら、見逃すことはなかったはずのこの資質は、彼が作った作品のすべてに流れていて、彼を知らなかった人にも感じ取ってもらうことができる。
ケビンと涼は、初めて仕事をしたときに信頼関係を築き、それが作品を完成させるのに必須だった。ダンが涼にあったのはその直後で、また同じように信頼関係ができた。
奇妙に聞こえるかもしれないけれど、その信頼関係の中心にあったものは愛である。僕らは涼を愛していた。撮影監督としてだけではなく、一人の人間として。彼のことを心から惜しんでいる。
蜷川実花(アリシア・キーズ「Girl On Fire」監督)
「これでアメリカで撮影する時困らないな」、涼くんと初めて仕事をした時に思いました。これからたくさん一緒に仕事が出来ると。そういった人に出逢えるということは宝物のようなものです。本当に悲しすぎて言葉にならないです。もっともっと一緒にお仕事がしたかったです。心からご冥福をお祈りします。
ローレント・フォアシェリ&アントワン・ティングリー(映画「1956」監督)
これまでしてきた仕事のなかで、一番エキサイティングだった2つの作品で、涼と仕事をすることができた。ニューヨークで短編映画「1956」を撮影しているときに会った。何人か、撮影監督にインタビューをして、涼が一番の適任だとわかった。彼の技術、照明の鋭いセンス、ストーリーテリングに対する情熱が、すぐに僕らを誘惑した。涼の素晴らしいユーモアのセンスや、愛すべき人間性は、長居仕事の日々を、楽しむべき、忘れがたい瞬間に変えてくれた。涼の素晴らしいユーモアのセンスとか、愛すべき人間性がその次にきた。
撮影を始めたら、すぐに他のプロジェクトにも参加してほしいと認識した。その次は、ヴァシュロン・コンスタンタンの仕事でプラハでの撮影だった。プラハとローザンヌに1週間以上逗留しなければならない大変な仕事だったけれど、そのときに彼と貴重な時間を過ごすことができた。
涼、君のことは決して忘れない。Adieu l'ami !
ブランド・かおり(ドキュメンタリー作品「Standing Strong」監督)
涼君と卒業後初めて一緒にした仕事は国連大学とWHOのドキュメンタリー作品「英知への歳月」でした。その後も国連大学や環境省など数多くの作品の撮影をしてもらいました。極寒の知床半島、東北の被災地、インドの山奥。彼独特の感性と卓越した技術、知識、そしてディレクターへのサポートと対象物、人物、その土地へもの愛情で生まれる映像は作品に深みを持たせてくれました。誰にも変わりが出来ない特別なカメラマンで大切な友人でした。たくさんの素晴らしい画をありがとう。
セリーヌ・ダニエール(映画「Blank City」監督)
涼は、素晴らしく才能ある撮影監督だというだけでなくて、一緒にはたらいた者の人生に必ず影響を与えることができる人で、寛大で、思いやりがあり、インスピレーションを与えてくれる存在でした。映画「ブランク・シティ」は涼がいなければ不可能だった。彼を失ったことは、映画界にとって多大な損失です。涼が残した作品群を通じて、また彼の素晴らしい子供たちと家族を通じて、涼の人生を祝福できることに感謝の意を表したい。
佐藤浩太(アリシア・キーズ "Girls on Fire"照明  映画「Pan Cake」照明)
涼君とは、2006年に、映画のNYロケで出会いました。共にアシスタントとして頑張っていました。異国の地NYで戦う姿に感心と羨ましさを感じました。
それから4年後の日本で、インディーズの映画でメインスタッフとして、偶然再会しました。酷く暑い夏でしたが、とても素敵なひと月でした。そして去年、又も偶然NYでアリシア・キーズのPVを一緒にやる事が出来ました。その晩の祝杯の美味さは格別でした。お互いステップアップしている。これから沢山、一緒に素敵な仕事が出来ると期待してました。楽しみにしてました。忘れません。彼の余裕の笑顔、素敵な画、一緒に飲んだ楽しい時間。
悔しいですが、安らかにお眠り下さい。
ジェフ・フォルムシー(HBOドキュメンタリー「The Collector」監督)
涼は、亡くなった同胞だ。彼の存在を心から惜しんでいる。自分が監督・プロデュースしたHBOのドキュメンタリー「ザ・コレクター」では、大切なコラボレーターになってくれた。どんな日だろうと、何があろうと、涼が仕事のあらゆる局面に捧げてくれたユーモア、プロフェッショナリズム、才能、そして献身を、僕はいつまでも大切に思い続けるだろう。あの現場でMVPがあったとしたら、その賞は涼に与えられたばずだ。
どんな作品を作る過程にもドラマはつきもので、日々問題が起きるけれど、大切な場面ではいつも前に進み出て、静かにその問題を解決してくれる涼をいつも頼りにしていた。REDというカメラでの撮影を希望したものの、前例がなく渋っていたHBOに対して、打開策になったのが、技術部とのミーティングでの涼の意見だった。現場ではどんな問題が起きても、完全な集中力でそれを解決しようとする涼が、振り返ればそこにいるという事実が、自分にとってどんなに安心材料になっただろう。ポスト・プロダクションでは、いつも涼と二人で、色調整の作業をするのを楽しみにしていたものだ。
けれど、最終的に、涼について一番思い出に残っているのは、彼がいつもすぐに笑顔をくれたこと、何をしていても、人間らしい瞬間を見つけてくれたこと。いつも無理せずにポジティブでいることができて、何においても可能性を信じ、戦いの価値を信じていた。彼がいないことをひどく寂しく思っている。
デルフィーン・ディリー(「Far From Iraq」監督)
涼を亡くしたことに無限の痛みを感じる一方、そこに価値があったのだと信じる方法を探している。シネマは自分にとって意味を失ってしまったのだと恐れている。けれど、つい先日、美しく奇妙な映画の上映会からの帰途、涼のいないシネマの世界を「生きる」自分の能力を疑いながらも、涼だったら、自分にあの場所に戻ってほしいと願ったかもしれないという気持ちになった。私、涼、マイクという、ばらばらの国と文化からやってきた3人の若者が、小さい街出身だというだけを共通項に、ブルックリン・カレッジの映画学部で、どういうわけか出会い、映画を作るようになったときの自分たちに、涼だったら戻ってほしいと願うのではないか。自分のやりたい、考えたい、見たい、探したいという衝動や好奇心は、足跡をたどると、あの頃に始まる。あのとき、あの場所は、自分の精神、心、魂の中にあり、疑いがもたげたとき自分がいつも戻れる場所となっている。私たちが出会い、希望を抱き、映画を作り、笑ったりしたあの場所は、決して忘れることのできない、ディープで、ファニーで勇敢で、インスパイリングな方法で、自分の能力を伸ばし、影響を与えてきた。今、これまで以上に、あの場所が行くべき場所になっている。
マイク・フォックス(映画「Out of My Hand」プロデューサー)
忘れられない存在。
尊敬に値し、思いやりがあり、献身的で、勤勉。
才能にあふれ、オープン・マインドで、感謝の気持ちを持ち、強く、善良で、寛大。
インスピレーショナルで、批評の目と主張を持ち、謙虚で、愛情深く、ロックなやつで、コラボレーターで、仲間であり、人の言葉に耳を傾けるリスナーであり、冒険者で、生徒でありながら指導者。
日本人で、ニューヨーカーで、息子であり、兄であり、父親であり、夫であり、シネマトグラファーで、アーティストで友人だった。
愛されて、惜しまれている。
ジョナサン・ターナー(Glasser “Design” 監督)
上映室の窓からいつものように光が挿したとき、あの日は、光が涼を明るく照らしていた。涼が、自ら制作していた、リベリアのゴム農園の労働者についてのドキュメンタリーのラフ カットを見せにきたときだった。ブラインドを閉めて、プロジェクターが音を立てて命をもったとき、僕はオープニング・シーンに魅了された。ゴムの木の木陰 に、ひとりの男がいた。なたが木の幹にあたり、乳白色の樹液が流れだした。シーンは、荒廃した労働者たちのキャンプ場がある未舗装の道に移った。灼熱の太陽のしたでうめき声をあげる女性がいて、だらりとした乳児の遺体を抱いている。シーンは、今度は、組合化の利得についての会合の前で話をする美しく活力のあるリベリア人男性のミディアム・ショットにシフトした。
涼を失ったことで一番つらいのは、彼のヒューマニティを失ったことだ。東北大震災のときには、もちろん直後に福島で撮影をしていた。涼が撮影監督として美しい目をもっていたとか、現場でいつも冷静だったとか、自分のドキュメンタリーを撮るため、知られざる森林の中を機材を何日でも抱えて歩くことができたとか、そういうことだけじゃない。どこに行くにも、深い人間味を持って、究極的には、僕たちはみんな、互いを助け合うための旅をしているのだということを教えてくれた。アーティストの尊厳をもって、自分たちのヒューマニティについて考えさせることができる何かを作り出せるのは美しいことだ。涼は、仕事を通じてそれを頻繁に成し遂げたし、僕らは生きているかぎり、彼の作品を楽しむことができる。一番恋しいのは、彼の身体、あの輝き、あの笑顔だ。
ジャッド・アーリッチ(映画「Run For Your Life」監督)
初めて涼に会った時、涼の逆立てた髪型と皮パンツ姿は、自分が青春時代を過ごした頃のニューヨークのダウンタウンから飛び出して来たようだった。その後、彼のクールな外見の下には、探究心と誠実さにあふれた内面があることがわかった。僕たちは友達になり、自分が映像制作会社を始める事を決めた時、涼にパートナーになることを頼んだ。
涼とは、何年もの間に、数本の長編ドキュメンタリー映画を含む数えきれないほどのプロジェクトに一緒に取り組んだ。涼はお金や名声のために作品を作ってはいなかった。涼が目指していたのは、彼自身が授かったもの、つまり才能とヴィジョンに対して誠実でいようとすること、そして見た人を変貌させてしまうほどの力の持ったイメージとストーリーを創作するためだった。涼はそれに成功したし、彼の作品はこれから何世代にも渡って人々に影響を与え続けるだろう。
涼がアーティストとして与えた影響もさることながら、彼が残した家族や、生前の涼を知り、彼から感動を受けた世界中の人々は、涼の残したものの存在の大きさを感じ続けるだろう。涼はあまりにも早くこの世を去ってしまったが、これからもずっと、涼の友達になれたこと、コラボレーターになれたことを感謝し続ける。
*遺族は、残された子供達のために村上涼の築き上げた人々の繋がりを残すことと、人々に彼の作品、功績を伝えることを目的に、facebookウェブサイトを通じて情報を発信し続けている。    
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