AMETSUCHI: WEAVING FIVE PIECES INTO ONE STORY

ART/CULTURE

AMETSUCHI: WEAVING FIVE PIECES INTO ONE STORY

川内倫子 インタビュー

Portrait: Ports Bishop / Text: Yumiko Sakuma / Photos: Courtesy of Rinko Kawauchi

この5月に、ニューヨークに拠点を置く出版社APERTUREと青幻舎から、写真集<AMETSUCHI>の日本語版と英語版を同時に上梓した川内倫子さ ん。2012年に東京都写真美術館で行った<照度 あめつち 影を見る>を立脚点にしつつ、展示とも、またこれまでの写真集とも、がらりと違う新しい感覚 を与えてくれるこの新作について、ニューヨークで話を聞いた。

今回の写真集<AMETSUCHI>は、阿蘇の野焼きの撮影が立脚点になって、そこに嘆きの壁、プラネタリウム、銀鏡神楽、東京の空と全部で5つのサブジェクトが入っています。
5年ほど前に、夢で見た景色をきっかけに阿蘇の野焼きを撮りはじめました。昨年、東京都写真美術館で<照度 あめつち 影を見る>という展示をする際に、野焼き、嘆きの壁、プラネタリウムの3つのサブジェクトで見せようと思ったのですが、嘆きの壁は強い意味を持っているので、ちょっと浮いて見えたんです。でも私は政治的なことや宗教的な問題を訴えたいわけではない。どれも同じレベルで見せたかったのですが、そこだけどうしても違う意味がでてきてしまうんですね。そんな風に模索していた時、たまたま銀鏡神楽を見に行くという話が舞い込んできました。そのときに、これがパズルの最後のピースになるかもしれないと思い、プリントして並べてみたら、被写体としてもコンセプトとしてもしっくりきました。写真集を作るときには、野焼きだけに絞ってもいいかと思ったのですが、最終的には、4つのサブジェクトに加えて、東京の自宅マンションから見えた空の写真を1枚を入れて、完成したなと思ったんです。
サブジェクトに嘆きの壁が入っているのが興味深いと思いました。
壁を超えるとか、壁にぶつかるとかいうように、壁は困難なことの象徴で、それ自体がメタファーです。とても切なくて、シンボリックな存在なうえに、イスラエルの持つ土地の強さと宗教問題などの全てが加わって、ものごとの起源や困難なことの象徴になっています。撮ってみたら、サブジェクトとして強すぎると感じて、発表しなくてもいいかなと思っていたのですが、あとになって野焼きを撮る被写体との向き合い方と共通するものがありました。起源について考えていたことで、つながりができたんですね。世界は単純に美しいだけの場所じゃないから、そこに困難なことの象徴であるものが入ることで作品にまた層ができる。その役割を嘆きの壁が担ってくれているのだと思います。
まったく違うサブジェクトの根底に、地球との関わりあい方という共通のテーマがありますね。
そうですね。自分自身の地球の関わりあい方、そしていろんな物事が今同時に起きていて、つながりあいながら、地球上に共に存在するということが、これまでの作品でも、常に同じテーマとして根底にあるのですが、今回は新しい見せ方で表現しました。それは自分が生きていることの証明でもあるし、毎回追求したいのは、常にいろんな物事とともにあって、循環しているということなんです。常に何か新しい見え方を探求するのが自分の仕事だと思うし、それを人と共有したい。そのときそのとき、違う自分を見せているつもりです。ある種、自分のドキュメンタリーではあると思っています。
今回の写真集はデザインが凝ってますね。ネガをプリントしてページの裏に刷ったり、工夫がある。
世界は陰と陽で成り立っていて、物事にはすべてネガティブとポジティブの関係がある、ということも私のテーマのひとつです。それを一冊の本としてデザインするとこういう形になったんです。たまにちらっとネガ(裏)の部分が見えるのが、私たちの生きる世界の常でもあるとも言えます。今回は、デザイナーのハンス・グレメンにお願いしたのですが、 彼が提案してくれたことが、自分の考えたこととぴったり合いました。ハンスが自分の意図をうまく翻訳してくれました。
次は?
ここ2~3年かけて撮っている中国の祭り、イギリスの鳥、出雲という3つのサブジェクトをどう表現しようか迷っているところです。すべてデジタルで撮っています。それを終えたら、映像作品をもっとつくろうと思います。
映像作品はずいぶん長い間撮りためているようですが、最初に撮り出したのはいつ頃ですか?
ビデオカメラを買ったのは2005年くらいだったと思います。最初にちゃんとした形で映像作品を発表したのは、2007年に撮ったサンパウロの移民の人たちをテーマにしたものです。東京都写真美術館で発表した映像作品の「Illuminance」で、最初は15分くらいの作品として発表して、徐々に30分、45分と尺を長くしてきました。最終的に一時間くらいの作品にして完結させる予定でした。でも、そのうち徐々に尺を増やしていくやり方が面白いなと思うようになったんです。私が死ぬ頃には10時間くらいになっていたりして、永遠に終わらない作品になってもいいと思ってます。
川内さんの作品には、パーソナル、ユニバーサルという反対のコンセプトが共存していますね。
パーソナルはユニバーサルに繋がっていますよね。全体意識という言葉がありますが、やっぱり自分たちは地球に生きていて反響し合っている、自分が作品を作る上で、そういうことにタッチしたいという欲求があります。個々が潜在意識の中で繋がっている、ということに触れたいんですね。作品を見て「なぜか懐かしい」と言われることが多いのですが、それは結局みんなの記憶のどこかにあることが、写真に入っているから。そういった深い部分にタッチできるなら、ある意味、自分の中ではその仕事は成功といえるのだと思います。自分でも作品を作り終わったときに、もちろん自分がその場にいて自分で撮っているのだけど、見せられている、とどこか人ごとのようにも思えるときがあって、そういう風に思えたら、自分の手をもう離れて、作品が完結したと思います。自分が撮ったと思っている時点では、まだ途中段階なんですね。
ビデオの魅力は?
写真を撮ることに対するストレスがあったのかもしれません。例えば、カーテンが揺れた瞬間に「あっ」と思ったときの感覚が写真には写らないときがある。そういったことが、写真に写るときもあるのだけれど、その時の感覚は、映像の方が合っていることが多いような気がしたので、そのストレスを発散するために映像を選ぶようになりました。時々、私がずっと作りたかったことは、映像の方が向いてると思うこともあります。写真はある意味、窮屈な表現方法で、限界がある。だからこその面白さもあるけれど、写真じゃなくてもいい、という矛盾もあります。その葛藤を映像をやることで埋めているのかもしれません。
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07.02.2013

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