MUSIC
音とビジュアルの関係を今一度考える
数ヶ月前のある夜、ブルックリンを拠点にアクティブに活動するミュージシャンのパット・ノーカーに、PERISCOPEに寄稿しないか声をかけた。パットは、過去5年ほどの間に、音楽のショーにおけるビジュアル要素と、アートショーにおけるライブ・ミュージックがあまりに当たり前になりすぎて、音とビジュアルが互いにマイナスの効果を及ぼしているのではないかという話をしてくれた。目に見えない音、音楽という存在を、目に見えない存在のままにしておくことが、聴くという行為をより深い体験にしてくれるのではないかと。そのあとしばらく、実験的に、音楽のショーに行くたびに目を閉じてみた。すると、自分の体の器官の鼓動が音の一部になったような気になり、自分がよりアクティブな聞き手になるような気がした。PERISCOPEはビジュアル志向の媒体である。パットのエッセイにどんなビジュアル要素を用意するか議論するうちに、ビジュアル・アーティストのソフィ・イディスカヤが、目を閉じて音を聴く体験を「再現」するために、パットが演奏したピアノの楽曲のために作ったビデオを、モノクロ化してくれた。パットのエッセイは、マニフェストではないけれど、音楽環境をミニマル化することで、音とアートを分離することの必要性に焦点をあてようとする一個人の試みであり、外へ外へと拡大してきたアメリカ文化が今、再び内側に、より内省的になっているのではないかという考察である。
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