ART/CULTURE

EVERYBODY STREET: NYC the MUSE

シェリル・ダン インタビュー

Interview: PERISCOPE / All images courtesy of Cheryl Dunn

これまでストリート・カルチャーを題材に、写真や映像を撮り続けてきたシェリル・ダン。2010年に、サウス・ストリート・シーポート・ミュージアムがアルフレッド・スティーグリッツ展を行った際に依頼を受けて、ストリート・フォトグラフィーをテーマにした短編のドキュメンタリー映画を発表した。数々の巨匠たちが登場して写真について語る「Everybody Street」は写真ファンを中心に大歓迎をうけ、シェリルはそれから3年をかけて、この映画を長編に拡大した。11月11日にニューヨークでプレミア公演され、ダウンロードが開始される新バージョンの「Everybody Street」は、ブルース・デビッドソン、エリオット・アーウィット、ジョエル・メイヨウィッツ、メアリー・エレン・マーク、クレイトン・パターソン、リッキー・パウェル、マーサ・クーパー、ブギー、リュック・サンテなど写真の大家たちが登場するだけでなく、写真家たちの目を通してニューヨークの歴史をたどる作品になっている。ファイナンシャル・ディストリクトのスタジオで、シェリルに話を聞いた。

最初の作品は、アルフレッド・スティーグリッツにからめて作ったということだけど。
サウス・ストリート・シーポート・ミュージアムが、新しいタイプのオーディエンスを獲得したがっていて、私の友人が雇われた。サウス・ストリート・シーポート・ミュージアム周辺は歴史的におもしろいエリアで、ミュージアムの建物も魅力的。船員用のホテルだった時代の床が発見されたり、1700年代のグラフィティが壁にあったり。ミュージアム自体もニューヨークならではの興味深い歴史的遺物を所蔵している。このあたりには、50年代から70年代にかけて、多くのアーティストたちが住んでいて、ダニー・ライオンの名作「Destruction of Lower Manhattan」の題材にもなった。フルトン・フィッシュ・マーケットという魚市場があったから、卸業者やギャングたちが活発で、騒然としたエリアでもあった。みんな知っているように、のちには世界貿易センターが2回攻撃の対象になったこともある。友人からの電話でアイディアはあるかと聞かれて、「ストリート・フォトグラフィーについての映画を作りたい」と答えた。自分が尊敬する写真家やアーティストたちの映画を作れたら「どんなドリーム・プロジェクトになるだろうか」と思った。スティーグリッツは、4X5のカメラを三脚からはずして、ストリートを歩きまわって、ニューヨークの橋が建設されたり、移民が入ってくる様子をドキュメントした最初の写真家の一人だったから。今も生きていて、ニューヨークのストリートを題材にした作品を作ってきた写真家たちの言葉や作品を通じて、歴史的な映画を作りたかった。そうやって最初の作品ができた。
長編にしようと思ったのは?
ブルース・デビッドソンと3時間という時間を過ごして、短編ではその5分しか使えなかったから、まだ相当な量の映像が残ったし、オーディエンスの反応を見て、もっと見たいと思ってもらえたと感じた。だから2011年に撮影を再開して、追加したかった写真家たちに声をかけて、一夏を費やした。秋にはいったんカメラを置いたけれど、クリスマスの前日、エリオット・アーウィットが参加してくれることになって、ブギーもあとで参加してくれた。問題は会いたい題材に声をかけ続けると、いつやめればいいのかわからくなるってことだった。
映画は、写真ファン以外の層のことも考えて作った?
そう。技術的な内容にならないように意図した。取材のときには、技術的な質問もしたし、自分としても彼らがどんなカメラを使ったかにも興味があったけれど、物語を構築するうえで、技術的な側面は比較的おもしろくないように感じられて、写真家の心理や、彼らがどうやって動いたか、ニューヨークについて、といったことにシフトした。13人のキャラクターが登場しながら、わかりづらくない映画を作るのは困難な作業だったから、キャラクターたちを織り込むのではなく、歴史について、技術について、危険性についてというように、トピックごとにセクションを作った。
結果的にストリート・フォトグラファー以上のものがテーマになった?
結果的に、ニューヨークという街がキャラクターのひとつになった。たとえばハリケーン・サンディのような災害が起きたとき、ストリートに出かけていって、街の記録をカメラにおさめる人たちがいなかったら、この街の歴史は同じように語られることはない。加えて、ニューヨークの建築的側面、物理的側面もテーマのひとつになった。登場するアーティストたちにとって、ニューヨークはミューズで、彼らはこの街に愛情を持っている。歴史のセクションでは、アート・フォーラムの編集者だったマックス・コズロフが、30年代とか40年代に使われたような形容詞を使ったりして、完璧な英語で、ウィリアム・クラインがなぜニューヨークにきたかというような話をしてくれたりね。ニューヨークの写真家は、問題を抱えている。いつでもニューヨークに写真を撮るためにやってくる人々はいつも絶え間なくいて、1週間離れると、「あのビルはどこにいっちゃったの?」というようなことがよくある。いつも変わり続けている。人々は常に出たり入ったりしていて。だから他の都市とは比べ物にならないような、ストリート・フォトグラフィーの歴史があって、理由はわからないけれど、ストリートのエネルギーがある。
誰もがインスタグラムで瞬時に写真をアップする時代にあって、パイオニアたちと話をして、写真についての考え方は変わった?
誰もが電話やデジカメをもっていて、いつも写真を撮っている。ある意味「誰もがフォトグラファー」という考え方もあるけれど、それは違うと思う。みんなが「ピクチャー・テイカー(写真を撮る人)」になっただけで。フォトグラフィーは、写真を撮るだけの作業じゃない。撮った写真で何を伝えるかという問題があるから。写真を撮るという作業は、フォトグラフィーの半分にしかならない。私はあるアートの形態が、別のアートの形態にとって替るとは思わない。テクノロジーに何が起きても、アートの形態は存在し続ける。アクリル・ペイントが登場しても、油絵は存在し続けるし、ただ別のものが登場するということ。白黒のテレビ、カラー・テレビ、モノクロの映画、みんな存在するから。今あるデジカメを使えば、50フィート四方のビルボードに使えるだけの写真が撮れるけれど、写真のアート性には、編集作業や、無数に存在するフレームのなかから、自分の表現を見つけるということもある。だから、今みんながやっている「写真」は、新しい表現法ともいえる。ときどきミュージック・フェスティバルに撮影に出かけて、カメラを持った多くの人間に紛れることがあるけれど、最前列で、フィルム・カメラをもった人、特に若者を10人とか15人見ることがある。イーベイでフィルム・カメラを安く手に入れたんでしょう。彼らは他のみんなのようにはなりたくないし、ユニークな存在でありたい。それがおもしろいし、フレッシュに感じられてる。
映画を作るので一番難しかったのは?
去年の夏、一番暗い時期を体験した。長編映画を作ることは、赤ちゃんを作るようなことで、編集に9ヶ月かかるというけれど、私の場合はもっと長くかかった。夏の最後には、ひとりぼっちで1日も休まずに作業をしていて、それもものすごく暑い夏で。編集していなかったら、自分は何をやっているだろうと想像した。きっとニューヨーク・タイムズを読んだり、ビーチで寝てしまったり、一杯飲んだりしているだろうと思ったら「ビッグ・ディールじゃない。長編映画を作ってるんだから」と思えた。
一番良かったことは?
一番好きだったのは、30分しか時間をもらえなかったはずなのに、でも結局、そのサブジェクトと何時間も過ごせたこと。大家たちは扱いが難しいと言われたりして、でも会ってみるとすごくスイートだったり。過去に何度となくインタビューを受けてきた人たちだから、下調べをせずに、みんなと同じ質問をしたら、シャットダウンされる。たとえばエリオット・アーウィットのときには、今まで書かれたインタビューにはすべて目を通した。無知に見えないように、この手法に磨きをかけた。そのチャレンジと、うまくできたときの喜びが好きだった。それが一番楽しかった。
サブジェクトはあなたのことを一人の写真家として見たと思う?
自分のエゴに惑わされてはいけないと思ったし、自分のことは話さなかった。彼らのことを話すためにそこに出向いたと自覚して。でも自分が写真家として撮影にいくときはちょっと違う。たとえばポートレートを撮るのに数分しかもらえなかったときは、自分の弱さをちょっとだけ見せたほうが信頼してもらえる。信頼関係を構築する時間がないときには、人間としての弱さが早く機能することがある。
写真家たちの間には、同胞意識があるように感じられることがあるけれど。
そうね、でも写真家は競争意識も激しい。取材した一人の写真家が、撮影の翌日に「あのパートは使わないでほしい」と電話をかけてきたことがあった。私が「他のフォトグラファーと遊ぶことはありますか?」と聞いたときに、「フォトグラファーは潜水艦みたいなもので、なるべく互いにぶつかりたくないんだ」と笑って言ったセリフだったんだけど。競争意識が激しくて、それがリアル。
この作品を作ったことで写真家として、影響されたと思う?
素晴らしい教育を受けたと思う。大学院に行ったみたいな感じ。大学院で過ごす何年間に学べること以上のことを学んだかもしれない。この映画に登場するフォトグラファーの数人は、60年以上のキャリアをもっていて、そういう人たちに登場してもらえたことをすごく幸運に感じている。そして、最後にできたものは、ニューヨークの写真の歴史をバランスよくまとめられたと思う。  
  • NYC,1950 by Elliott Erwitt
  • Arthur MILLER, Brooklyn, NY, 1954 by Elliott Erwitt
  • 1950 by Elliott Erwitt
  • Photo by Jill Freedman
  • Photo by Jill Freedman
  • Photo by Boogie
  • Photo by Boogie
  • Beastie Boys by Ricky Powell
  • Basquiat by Ricky Powell
  • Ricky Powell by Cheryl Dunn
  • Boogie by Cheryl Dunn
  • Photo by Martha Cooper
  • 1980 Photo by Jamel Shabazz
  • Photo by Bruce Davidson
  • Bruce Davidson and Cheryl Dunn in his darkroom photo by Mike Fox

Links

http://everybodystreet.com/
http://www.cheryldunn.net/
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10.30.2013

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