ART/CULTURE

Digital Archeologist

ベン・フィノ・ラディン インタビュー

Interview & Text: Christopher Schreck / Videography: Saul Metnick / Photography: Ports Bishop / Edit: Takeshi Fukunaga / Translation: Kana Ariyoshi

アーティストたちとの会話のなかで、幾度となく話題にあがるのが、アート評論家のデイブ・ヒッキーが言うところの「利用価値のある過去」を活用することの重要性だ。創作における基本的な考え方として、自らの作品を未知の領域へと高めていくプロセスのなかで、アーティストは過去に登場した形態やオブジェクトを、頼れる仲間として、または現在抱える問題に対処するためのツールとして、すぐに調べたり、参照したり、使用(もしくは流用)できるものとして考えてきた。けれども、多くのアーティストは今、ジレンマに直面している。時代の流れのなかでアートが古くなることを認めないのもひとつだけれど、デジタル素材を扱うアーティストたちは、テクノロジーの進歩ととも、自分たちの作品を支えるプログラムやプラットフォームがいずれ使用不可能になるという状況に対応しなければならない。
こうした問題に対応するため、ここ数年の間に、テクノロジーをベースにした芸術やデザイン作品へのオープンで恒久的なアクセスの確立に取り組むコミュニティが、小さいながらも現れるようになった。急速に広まりつつあるこの世界のなかで注目を集めているのがニューヨークを拠点に活動するベン・フィノ・ラディンだ。自称“メディア考古学者、アーキベスト、デジタルベースのコンテンポラリーアート作品の保存管理者”である彼は、ここ数年、MoMAでデジタル保存システムの開発に取り組み、昨年9月にMoMAのフルタイム職員になるまでは、デジタル・アーカイブの<ライゾム(Rhizome)>で仕事をしていた。Periscopeは

デジタル保存に携わるようになったきっかけに興味があるんだけど、学部生のときはスタジオアートを専攻していたんだよね?
   ニューヨーク州西部にあるアルフレッド大学でニューメディアに特化した美術の学位を取得した。バウハウスの流れを汲んだような、とても学際的で、技術を重視する学校だった。美術学部はピラミッド型の大きな一棟の建物に集まっていて、1階がセラミックやガラスなどの基本的な素材を扱い、階があがるにつれて現代テクノロジーを扱い、最上階では映像とグラフィックデザインのプログラムが行なわれる。そこで多くの作品作りをして、機械に没頭した。同じころ、プラスティック製のキャンバスと安い糸を、ニードルポイントで三次元にする作品を作ったりもしていた。
どうしてその素材を使うことになったの?
   たまたま編み物好きな女の子と付き合っていて、彼女が持っていた縫い針アートの本を見ながら、当時僕がやっていた映像アートと、特にピクセル化する部分に、共通する点が多くあることに気がついた。そこで近くのスーパーに行って一番安かったアクリル糸を見つけて、自分がやっているほかの作品の模様にもぴったりの色合いだと思った。それでニードルポイントで似たような模様を作るようになったんだ。とても自然な流れで。
それからどんなきっかけでデジタル保存に興味を持つようになったの?
   卒業してプロビデンスに引っ越して3年くらいしてから。バンドで音楽をやりながら、アートを作っては作品を見せるような日々を過ごしていた。でもある日、エキシビションのためにニューヨークを訪れたときに、今は友人になったある女性と出会った。当時、僕がおもちゃ会社<ハスブロ>でアーカイブの仕事をしていたことを知り、また僕の作品を見て、点と点が結びついて、デジタルに特化したアーカイブと情報科学を取り扱う修士過程があると教えてくれた。それで調べてみた結果、2010年にニューヨークに移ってきて、プラット・インスティテュートの大学院に通い、図書館学の修士とデジタルアートのMFA(美術学修士号)を取得した。
大学院に進学したときから、デジタル保存を専門にしようと考えていた?
   いや、まったく。そういう分野があることすら知らなかった。ただ単純にアーカイブが好きだから始めた。<ハスブロ>での仕事を通して、コレクションへの愛情だったり、プロセスを重んじるおもしろさを経験できた。<ハスブロ>でも特に興味を持ったのは試作品のアーカイブで僕が保存システムを開発した。
スタジオアーティストとしてのバックグラウンドが保存管理者としての仕事に役立ってると思う?
   もちろん。実際かなり意味があると思っている。アーティストや素材のひらめきの感覚がわかるし、保存管理者が“手作業”と言うことをより直接理解できる。アーティストとしてやってきたことで、自然と身についた知識や感覚を仕事に生かすことができる。
自分の作品を作ることからほかの人の作品を管理することへの変化による影響は大きかった?
   特別何も感じなかった。その当時、作品作りからも遠ざかっていたし、すばらしいと思える作品を作る人をサポートすることに興味を持つようになっていた。たとえば、音楽が大好きだけど、プロになって自分で演奏しようとは思わないということと同じで、レコード会社を経営して好きな作品を宣伝するような感じかな。
   クリエイティブなエネルギーはひとつのことに注がれるものだと思うし、僕の場合、今はそれが構築中のソフトウェアやアート作品の研究、そしてリサーチに向かっている。複雑なソフトウェアベースの芸術作品の保存をすることで得られる見返りは、かつて作品を作っていたときと同じだと思う。コードを生み出すことだとしてもそれは何かを作ることだし、作品の恒久性を実現するためにクリエイティブな作業であることに変わりはない。
ArtBaseでの経験について聞きたいんだけど、作品をアーカイブに加えることを決めるときの基準は?誰が決めていたの?
   基本的には僕が決めていたんだけど、<ライゾム>で唯一、アーカイブ専門のスタッフだったからデフォルト的にそうなった。もちろん、キュレーター仲間からのインプットもあって、たとえば、ローレン・コーネル(ライゾムの前エグゼクティブ・ディレクター、現在はニューミュージアムのキュレーター)からもそうだし、一見の価値があるアーティストの情報をまわりから教えてもらっていた。ただ、コレクションを築くプロセスはどこでもそうだと思うんだけど、コレクション全体をみて、どこが弱点か見極めて、どうやって今あるものを強化していけるかを考えていく。そこで、僕が時間をかけてしていたことは、90年代初期にあったような単なる「ネットアート」ではない作品を見ていくこと。たとえば、1991年にウルフギャング・スタールが始めた<THING掲示板>がある。歴史のなかで極めて重要な意味を持つのに、そのストーリーが、ある小さな世界の外ではまったく語られてこなかったいい例で、これからしばらくその状態かもしれない。だからこそ、作品が確実に保存されるようにしたかったし、そうすることでいつか再発見されてもう少し理解を得られると思ったから。
多くの美術館では、作品が寄付される場合もあるし、購入することもあるけど<ライゾム>も同じ?作品を買うのはアーティストやコレクターから?
   いや、アーカイブに作品を追加する際には、通常の意味での「収集」とは違う。基本的にはアーティストとの関係性があって、作品を保存するという意味。<ライゾム>での「収集」は、アーティストが保存用のマスターを寄贈すること。アーティストにとっても、作品への幅広いアクセスを確保できるし、たとえば50年後でも、コピーを入手することができるという付加価値がある。つまり、アーティストから作品を購入はしないけれど、ある特別なサービスを提供していると自負している。無料で保存用のリソースを提供し、できるだけ長い間、作品へのアクセスを可能にしているんだ。
<ライゾム>とMoMAでしている仕事に、収集したデジタル作品用の新しい保存システムの開発があると思うけど、そのプロセス、さらにほかの芸術分野を扱うときとの違いについて教えて。
   デジタル作品をカタログ化するときの根本的な問題点は、多くの作品に複数のバリエーションがあること。しかも、異なるバージョンがあるだけではなくて、それぞれのバージョンの異なる形で実体化されていることも多い。たとえば<Sim City 2000>を考えてみると、オリジナルがあって、Mac用のオリジナルがあって、DOS用やそのほかのオリジナルもある。さらにそれぞれのオリジナルにデラックス・エディションやほかのバージョンもある。基本的に僕らは作品のクリエイターたちと直接やりとりするから、公式リリースはされなかったバージョンやバグが修正されたものなどさらに細かくなることもありうる。それぞれがそれぞれの権利を持ったデジタル・オブジェクトになるんだ。
   たとえば、今、MoMAのコレクション管理データベースでは、そうした情報は取り入れられていない。あらゆる美術館がシステム上で所蔵品を管理するのに利用しているTMS(ザ・ミュージアム・システム・マネジメント・ソフトウェア)には、作品それぞれの細かな情報を提供しようという配慮がない。でも保存管理者として、それこそが僕が大切にしたいことで、今まさにDRMCシステムに取り入れようとしていることでもある。
DRMCの構成について教えて。
   DRMCは、「デジタル・リボジトリー・フォー・ミュージアム・コレクション」の略で、これまで話してきたような詳細なすべての情報を集め、一貫した方法で分類して保存するシステムだ。ブラウザ・ベースのインターフェースから多様な素材をアップロードして、その関係性がアーカイブ・パッケージに取り込まれ統合されて、ダッシュボードで管理できるようなシステムの開発に取り組んでいる。そうすることで、作品そのものや作品を再現するのに必要な要件、さらにはほかの作品との関連性などをより明確に把握できる。
   デジタルアーカイブやデジタルベースの素材でできたデジタル作品の場合、ただ単に画像つきのインデックスカードと基本的なメタデータを表示するなんてナンセンスだ。デジタルベースの作品を扱うなら、実際の作品に様々な方法ですぐにアクセスできるようにしておくべきだ。
   こうした考えは昔から言われているけれど、実現されるには至っていない。だからこの新しいシステムで、僕らが第一人者として、美術館からの高まる需要に答えるための保存方法を構築しようとしている。SFMoMAやTateにいる仲間も似たようなシステムを検討していることを考えると、非常に楽しみでもある。近い将来、そうした美術館でシェアされるような相互に操作可能なスタンダードが実現すれば、本当にすばらしいことだと思う。
ほかの美術館の担当者とも常に連絡を取り合っている?
   もちろん。たとえばMoMAでは、SFMoMAとTateも参加しているメディアアートのMattersという協議会に参加している。同じツールを使い始め、そのフィードバックをシェアできるという点からも、常にそういった人たちと連絡を取っている。
   驚くかもしれないけど、ほかの研究者とのコミュニケーションの多くはTwitter上でしている。僕らが取り組んでいるようなことは最先端で試験的なことが多いから、とても利用価値がある。お互いに自分のリサーチをシェアしたがっている広いコミュニティだから、できるだけ自分の仕事についてオープンに公開していることが役立つということがわかったんだ。
これまでの経験から見て、デジタルアーティストが作品を制作するときにテクニカルデザイナーやウェブの専門家に相談するのは一般的なこと?
   イエスでもあるし、ノーでもある。外部の専門家を使う人もいるけど、そうした場合でも、保存という観点から考えれば基本的にあまり大きな違いはないと思う。たとえば、ブラジル人アーティストのラファエル・ローゼンダールはプログラムを書かない。自分でFlashを試作するときもあるかもしれないけど、基本的には作品のアイデアを描いて、それをプログラミングしてくれる友人にわたし、やり取りを繰り返して一緒に決めていく。だから彼にとってのプロセスはコラボレーションとも言える。その一方で、ジョナス・ランドのように技術に強く、本人もすばらしいプログラマーでプログラミングの仕事をしているようなアーティストもいる。彼の作品の多くは保存することを織り込んで、デザイン段階でそうした長期的な課題を考慮しながら作られている。
   恒久性を高めるために専門家に相談するアーティストはあまりいないと思う。でも<ライゾム>には、作品を長く残すために、自分には何ができるかといったことをたずねてくるアーティストはよくいる。デジタル保存に関して自分たちでもできることがいくつかある。たとえば、自分の作品の保存場所にアクセスできる人を管理することとか。ただ実際のフォーマットの話になると、これというひとつの答えというのはなく、ケースバイケースで考えていかなければならない。
基本的な考え方だけでは対応することはできなくて、もはやアーティストの手に負えなくなっているように聞こえるけど。
   そうだね。 本質的な問題のひとつに保存場所がある。独立していて恒久的に使えるような個人用の保存場所が存在しないという現実がある。デジタル作品の場合、特に大切なのは、自分の作品に自由度を少し持たせて流通されてもいいようにしておくこと。作品を持続可能な存在にするためにも重要なポイントだ。
今取り組んでいるなかで一番課題が多かったり、差し迫ったフォーマットは?
   もう時限爆弾のような存在になっているのが、コンピュータで組まれた複雑なインスタレーションだ。ただのソフトウェアではないから、ただ単純に画像ディスクを作ることはできない。もっと入り組んだプロセスで、恒久性と同じ課題をまたここでも抱えている。
そういったプロジェクトにとって公開展示したときの付随資料の重要性は?
   きわめて重要。記録が常に重要になってくる。特に、毎回必ず微妙な違いが出てくるようなプロジェクションを使った没入型メディアインスタレーションの場合はそうだ。 MoMAでは、よくインスタレーションのリハーサルをする。もし(その作品の前回のショーから)大きな変更点があれば、ギャラリーへ出向いてキュレーターになぜ新たな変更が加えられたのか説明を求め、アーティストにもヒアリングをする。そうやって得たすべての素材も追加で保存される。つまり基本的には、DRMCの記録用として、作品を正しく作動させるために必要なアーティストの素材と作品に付属するもの、そして作品の証拠を示し将来的な保存方法について共有するビデオ、画像、テキストなどの様々な保存資料を残すこととなる。
テクノロジー的な側面での正確さを保存することが仕事のメインの課題になっているようだけど、特にブラウザ・ベースのプロジェクトなど作品を理解するのに本質的な部分は、文脈のなかで人々がどのようにプロジェクトとインタラクトしたかを認識することのように思える。保存する立場として、より人間的なストーリーとして伝えるのがどれだけ重要で、また難しい?
   これもかなり重要なことだ。保存という分野における人間のつながりは常にあって、僕らがやっていることの根幹でもあり、作品の“ソーシャルライフ”としての意義を維持することがきわめて大切になってくる。特にインターネット・アートの場合、作品が持つ意味は、テクノロジーや取り巻く社会的状況と切り離すことはできない。 ただそれは従来のアート作品でも同じことが言える。
後世の人々のために作品を保存するとき、倫理的かつ道徳的な判断を迫られることが多いのでは?
   その通り。 アート作品は複数の視点から見られ続け、何度も再解釈され、保存方法もまた常に変更される。保存に関する歴史を見てみると驚くことが多い。たとえば、もし彫刻作品のパーツが欠けていれば、修復師は欠損箇所を埋めることで文字通り修復してしまう時代もあった。一方、今日、 メトロポリタン美術館を訪れると、廃墟を展示していたり、 建物の一部分や不完全な祭壇画を展示していることに気づく。どちらのアプローチにも倫理的かつ道徳的な意味合いがある。デジタルベース作品の修復の場合は、修復バージョンは常にオリジナル版のコピーにすぎないから、幸いどちらの方法を取ることもできる。不変なものなどない。
より広い注目を集める価値がある作品へのアクセスを確保するために、オリジナルへの忠実性を損なうことなくコンテンツを別のフォーマットに転換しようとしたり、作品を順応させるか元の特徴を保全しようとするのかで折り合いをつけようとしたりしているよね。そうすると責任の所在やライセンスについての疑問が出てきて、同時にアーティストと作品の親密性も要求される。 つまりひとりの判断が作品の意図に影響を及ぼす可能性もある。
   そうだね。<ライゾム>のアーカイブでやろうとしていることは、それぞれの作品に最適なレンダリング環境を保存する方法を確立することだ。 たとえば、アレクセイ・シュレギンの<Form Art>ならNetscape 3を最適な再現環境として選ぶだろう。 だからと言って、そのソフトウェアを起動させるのに必ずそのブラウザが必要ということではない。ただ、それが最適だということ。作品を通してアーティストが伝えたいことを一番的確に伝えてくれるから。ラファエル・ローゼンダールが過去12年間に渡る一連の作品をすべて<ライゾム>に寄贈したとき、何度かインタビューを行なった。パソコンを持って座ってもらい、ひとつひとつの作品を再現してもらいながら話をした。その最中に彼のしていることをスクリーンキャプチャして、話している顔を映したウェブカメラの映像と重ね合わせる。 そういった記録が大切な証明となる。ビジュアルの質、作品のルックや感覚について、とても重要なものとなる。アーティスト側のストーリーを聞くんだ。
   でも同時に、アーティストの望みが常に優先されるとは限らない。あくまでパズルのひとつのピースにすぎない。アーティストの作品に対する考えはよく変わるもので、作品を保存している美術館が必ずしもその変化を認識しているとは限らないからだ。
作品自体は方程式のなかの唯一の定数みたいなもので、実際には見せ方の問題になってくると。
   その通りだ。ただ、アート作品とデザインオブジェクトの間には大きな違いがあるとは思う。たとえば僕が担当しているMoMAでのプロジェクトでは、ビデオゲームの本来の環境とエミュレーションを比較するケーススタディのために、研究室を準備しているところなんだ。両者を並べて起動させてみて丁寧に分析していく。
そうした考えは、美術館が作品を展示しようとする手段に反映される?
   もちろん。特にビデオゲームの場合、オーディエンスが子供時代に戻って遊べる、という環境ではなく、デザインオブジェクトやインターフェイスデザインとして認識できるような方法で見せようと思っている。だから僕らのやり方ではハードウェアを外して、巨大な機械を使わずに展示しながらも、正確なレンダリングを保持しようとしてきた。壁のうしろにスクリーンがあって、最小限のエレメントにコントローラーがついた状態で。もうひとつの大きな懸念点は、オーディエンスがゲーム自体を見るべきなのか、実際にゲームをプレイしてみるかどうかだ。たとえば<Sim City 2000>の場合、これまでに建設された様々な街のドキュメンタリー映像を見せる。それはただ単純に、ギャラリー内の作品を見るときによく見られるように、作品を放置してオーディエンスにしばらく目的もなくクリックさせるよりもゲームの内容が目で見てわかりやすいからだ。芸術作品に対してデザインオブジェクトの場合はこうした考えから、より自由度を保つようにしている。
昨年の<XFR STN>の展示は個人的にもとても気に入ったんだけど、どのような形で携わっていた?
   ヨハンナ(・バートン、ニューミュージアムのディレクターで教育・公開講座のキュレーター)が計画段階で声をかけてくれた。そのときから、ショーがどれだけ複雑なものになるか予測していて、あらゆる質問に答えられる人材を探していた。ショーは部分部分が相互に依存し合う非常に複雑なシステムだったから、僕を含めて美術館の枠を超えてヘルプしてくれるメンバーを揃えたんだ。僕の担当は専門であるデジタルベースのマテリアルだ。そこで特別チームを立ち上げ、技術者をトレーニングし、全体的なシステムのデザイン面でも協力して、すべてが完璧に作動する方法を検討した。
アーカイブするプロセスの複雑さやコンテンツ自体の特徴という点で傑作だと感じたアーティストの提案はあった?
   保存やキャプチャするプロセスの面からは、そこまで突出したものはなかった。このプロジェクトには規定が設けられていたから。受け付けるフォーマットを特定して、それ以外は受け付けられないときっぱり線引きしていた。だからシステム内には気をそらされるようなものはなかったけど、コンテンツ面から言えば目を引く提案はたくさんあった。
展示のなかでも一番心を打たれたのが〈ArtBase〉の場合、差し迫った公共サービスであっても、アーティストの提案としてではなく必要性で考えているように思えた点だ。
   そうだね。僕らが今扱っている作品の多くは、わずか数年のうちに(見せることが)不可能になるということが、単純に現実的な問題としてある。そこにはふたつの理由があって、ひとつは古くなり、劣化していくリムーバブル・メディアがあること。さらにマテリアルを読み込むためのハードウェアも必要になる。恒久性の問題と同じで、一般的なものではなく高価なものが多い。アーティスト自身がこうした課題に対処することは不可能に近い。だから僕らがやっていることには最低限のラインがある。もし今、マテリアルを修復して記録に残しておかなければ、後から再現することは不可能になってしまうんだ。
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02.18.2014

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